グループホームの余暇活動から考える生活という物語

生活支援員 林 健介

グループホームの活動で、朝の喫茶店へモーニングを食べに行きました。その時間を、少し引いた視点から「物語として見ている自分」がいると想像してみます。支援者と利用者が並んで座り、コーヒーの湯気が上がり、店内のざわめきが流れる。その光景を「見る」自分と、その場に「いる」自分が同時に存在しているような感覚です。私たちは生活という物語の登場人物でありながら、その物語をどう語るのかを同時に考えている語り手でもあります。

 利用者さんは普段、支援者が用意した食事を食べられていますが、もちろんそれだけが生活ではありません。たまには喫茶店で過ごすことがありますし、誰にとっても、外に出て「景色を見る」ことも大切な生活の一部です。「行きたくないなら行かない」という選択肢があることも同様です。大切なのは、その人自身の「選ぶ視点」を尊重することだと思います。

 一方で支援者は、安全確保も強く意識しています。突然に利用者さんの所在が分からなくなる事態は避けたい、そうした思いが強くなりすぎると、「外に出ない方が安全だから」と、生活が閉じた物語になってしまう危険があります。多くの利用者さんは支援者の都合を敏感に感じ取っており、必要以上に気を遣わせてしまうのは健全ではありません。もし気を遣わせてしまったなら、「ありがとう」「ごめんなさい」と丁寧に伝えられる支援者でありたいと思います。

 「地域で暮らす」ということは、こちらの姿を地域に開き、理解してもらうことでもあります。合理的配慮は、一方的に求めるものではなく、まず「見てもらうこと」「知ってもらうこと」から始まると感じています。私たちは生活という物語を、地域とともに紡ぎながら、その場をどう見つめていくのかを学んでいるのだと思います。