就職に悩んでいた時、ゼミの教授に言われた「君は福祉に向いている」の一言。それをきっかけに気づいたのは、ずっと「福祉」に関わる道を歩んでいたこと。そして訪れた「わらび」で、旋盤機械の前で黙々と鉄を削る利用者さんの姿を見た瞬間、「彼らの働くを支えたい」と強く思った——それが、この仕事を始めた理由でした。
🔹 「働く」とは何か?問い続けた10年 重度の障害を持ち、高齢化が進む利用者さん。彼らにとって「働く」とは何なのか?迷うこともありました。でも、作業を楽しみ、仲間や支援者から「すごいね」「ありがとう」と声をかけられ、嬉しそうに笑う姿を見るたびに確信しました。
「役割があるって、嬉しくて誇らしいことなんだ」
💡 ただ支えられるのではなく、社会の一員として生きる 働いてお金を稼ぎ、そのお金で好きなことをする——それは、ただの作業ではなく、人生に誇りを持つこと。利用者さんが社会の一員として輝く姿が、私の原動力です。これからも、彼らの「働く」を支え続けます!✨
1986年、私が知的障害者の入所施設で働き始めた頃、日本の知的障害者数は約31万人。最近は約127万人と、まさに時代が変わりました。
🔹 かつては「見えなかった」存在 昔はサービスが少なく、偏見も根強い時代。軽度の方は「要領の悪い人」とされ、重度の方は家族がすべてを背負う——それが当たり前でした。街や電車で障害者を見かけることすらほとんどなかったのです。
🔹 支援の進化——社会へとつながる道 2003年の支援費制度の導入は、大きな転機でした。障害サービスが広がり、株式会社やNPO法人も事業を展開。今ではサービスの量は格段に増えました。質については???ですが、街に障害者がいるのが「普通」になりました。
💡 時代が変わり、可能性が広がる 「生きづらさを抱えた人が、社会と自然につながる」——それは昔では考えられなかったこと。でも今、そんな未来が現実になっているのです。これからも、さらに希望ある社会へ!
あさみどりの風の「誰もが援け合いのなかで共にくらし、共にそだちあう地域文化をつくる」という理念には、国籍や文化を超えたつながりを大切にするということも含まれています。昨年度から、この理念のもと海外出身の2名の仲間が加わりました。
Tさんは「生活に困っている方の支えになりたい」という強い想いを持ち、障害者支援の仕事に取り組んでいます。故郷の家族を支えながら、日本で学んだ知識と経験を活かし、将来母国でも同じような支援の仕事をしたいという夢を持っています。
一方で、Aさんは幼い頃から日本のアニメに親しみを抱き、「いつか日本で学びたい」という夢を実現するため来日しました。現在は介護福祉士の資格取得を目指しながら経験を積み、将来的には母国で福祉施設を立ち上げるという目標に向かっています。
お二人の姿勢や志は、私たちに新たな風を吹き込み、「共にそだちあう文化」を築く大きな原動力となっています。彼らとの関りを通して、新たな学びや気付きを得ながら、その道を共に歩んでいきたいと考えています。
第24回愛知県知的障害関係施設職員等研究大会に参加しました!特に心に響いたのは、社会福祉法人さふらん会・宮崎祐弥さんの発表。
🎨 「顔をコピーする」日課がアートに!? 井口直人さんは20年以上、コンビニのコピー機で自分の顔を写し取る習慣を持っています。驚くべきは、それが地域に自然に受け入れられていること!
はじめは不思議に映ったかもしれないこの行動も、長年続けるうちにコンビニの店員さんにとっては「いつもの光景」となり、特別視されることなく地域の日常に溶け込んでいきました。さらに興味深いのは、店員さんがコピー機のガラス面を拭く作業をマニュアル化し、通常業務の一環として組み込んでいる点。つまり、井口さんの行動は「特別な支援」ではなく、「当たり前の対応」として自然に受け入れられているのです。
✨ 日課がアートへと昇華し、展示会へ! 支援者や地域の温かい関わりが、このユニークな習慣を「アート」として開花させました。そして井口さんは「ヘラルボニー」と契約し、アーティストとして活躍中!「異彩を、放て。」の理念のもと、福祉の枠を超えた新たな価値を生み出しています。
🌱 支援とは「正す」ことではなく、「個性を活かし、社会とつなぐこと」 井口さんの活動は、地域の理解と関わりがあってこそ実現した奇跡。「好き」や「得意」が社会に自然に溶け込み、力として開花する——そんな希望を胸に、次の一歩へ!✨